STORY

代表プロフィール

ルミノーゾ・パートナーズ代表、竹井 弘二の起業に至るまでのストーリーを掲載しています。
学生時代のことから、資格講師として、またシステムインテグレーター企業での総務・法務としての仕事、そして起業。どのような信念で事業をしているのか、今後の展望まで、ルミノーゾ・パートナーズ創業者の人物像を知っていただければと思います。

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ひたすら学生生活を楽しんだ青春時代

いろいろと語りたいところなのですが…(笑)、正直なところ、子ども時代のことで語れることは多くありません。すぐに思いつくのは、当時からプロ野球が好きだったことです。

友達が球場の近くに住んでいたため、彼がもらったタダ券で、ガラガラの球場で一緒に観戦をしていました。今はなき、川崎球場です。

昔は専門チャンネルも配信サービスもありませんでしたから、パ・リーグを応援するために熱心にラジオを聞いたりして、我ながら変な子どもだったなと感じます。

小学校の頃は成績が良く、周囲の雰囲気に押される形で中学受験をして、そのまま大学までエスカレーター式に進みました。部活はほとんど帰宅部で、高校受験も大学受験もしていません。今では「何をしていたんだ」と思いますが、当時はひたすら学生生活を楽しく過ごしていました。

大学では法学部に入り、弁護士を志す

大学では、弁護士を目指して法学部に入りました。といっても、何か理想を抱いていたわけではなく。動機は曖昧で、サラリーマンとして働く自分が想像できなかったからです。毎日決まった時間に決まった場所に行って働く自分が想像できない。とはいえ手には職をつけたい。そんな理由で弁護士を選びました。

奇妙な話です。当時の司法試験は今と違い、5回、10回と受験する人も少なくありませんでした。5年、10年と努力して、ようやく就ける職業だったわけです。それなのに、自分はいずれ受かるだろうと根拠のない自信を持っていました。

就職活動もせず勉強をして、択一試験という最初の足切り試験に合格しました。そこで、通っていた資格取得支援予備校から資格講師の勧誘を受けました。択一試験に合格するのだから、ある程度はできるだろう、と白羽の矢が立ったわけです。これが、今に続くご縁の始まりだったように思います。

資格講師としての仕事にのめりこむ

「資格講師として生活費を稼ぎながら、司法試験の勉強ができる」そんな触れ込みに惹かれて、そこで働き始めました。最初に受け持ったのは宅建の講師です。教材を作ったりしながら3ヶ月ほど研修を受けて、教壇に立ちました。

最初の授業はよく覚えています。受講者はわずか3名でしたが、逆にそれで緊張し、「時間内に収まるか」「時間いっぱい喋れるか」と四苦八苦していました。

ただ、元来がお調子者であるせいか、仕事には次第に慣れていきました。

多くの予備校では、生の講義と収録講義を用意しています。収録講義は、一般にエース級の講師が務めます。それを2年目から担当させていただいたり、校舎を移ったら受講者が追っかけてきてくれたり、講師として一定の評価はいただいていたように思います。

私は、事前に用意した内容をきっちりこなすタイプの講師ではありませんでした。「今日はここまでしゃべっていいかな」「ここがわかりにくそうだから、こっちを厚めに説明しよう」など、反応を見ながら毎回内容を変えていました。もしかしたらそれが理由で、受講者に共感してもらえたのかもしれません。

講師としての自らの天井と転機

私にとっての講師のやりがいは、その日の講義が終わった時の、教室に残る空気感でした。受講者が満足してお帰りになった空気がある時は嬉しくなり、逆に空気がひんやりしている時は、これではいかんなと奮起しました。

講師として勤務したのは、8年ほどです。並行して司法試験の勉強も続けてはいましたが、最後の1、2年は講師としてどこまで稼げるか、天井を試していました。その頃には、宅建に加え、不動産鑑定士や司法書士、FP。今はなくなりましたが、初級シスアドなどの講師も担当していました。

ただ、講師は自分自身が商品です。ちょうどロースクールの構想が出始めた頃で、このままの生活を続けていて良いのか、という漠然とした不安も生まれてきました。

モヤモヤしている時に、友人から声が掛かりました。彼はあるコンサルティングシステムインテグレーター企業のCFOをしていて、法務のポジションに興味はないかと誘ってくれたのです。

IT系コンサルティングシステムインテグレーター企業でのサラリーマン生活

その会社はジャスダックに上場したばかりで、ちょうど成長を始めるタイミングでした。社員数は5、60人ほどの規模だったと思います。

学生時代にはイメージできなかったサラリーマン生活は、身を投じてみるととても刺激的でした。法務と総務の両方をこなしながら、会社が大きくなり、それにつれて仕事が増えていく様子を間近で見ることができたからです。

私はバックオフィス側にいましたから、経営陣との距離も近く、含蓄のあるお話をたくさん伺えたのも、幸運だったと思います。

一般的な総務の仕事は一通り経験しました。中でも印象に残っているのは、本社の移転です。派遣も含めて200人くらいの引越しをゼロからこなしました。3日ほど家に帰れませんでしたが、0から100になるところを見られたのは面白く、貴重な経験だったと感じます。

また、自慢できることで言えば複合コピー機の入れ替えがあります。カウンター料金を大きく引き下げて、数千万円単位のコスト削減を実現しました。バックオフィスは売上を上げられませんから、コスト削減を通じて利益に貢献できると「仕事したなぁ」という達成感がすごいのです。

ふつふつとした感覚に押され、起業

8年ほど勤め、法務のバイスプレジデントを任されるようになった頃、ふつふつとした感覚に押されて独立し、起業しました。

明確なきっかけがあったわけではありません。ただ、会社がある程度以上成長すると、企業内弁護士が入ってきます。法務も、自分ではない人の仕事になる。後付けですが、漠然と担当している仕事の天井を感じていたのかもしれません。

ちなみに、「バイスプレジデント」という役職名は格好いいですが、これは創業グループが外資系の出身であった名残です。実態は、一般的な会社でいう課長職でした。

「ルミノーゾ・パートナーズ」という社名に込めた思い

「ルミノーゾ」は、「明るい」「光を発する」という意味を持つイタリア語です。

私には、しかめ面をしているより笑っている方がいい、という思いがあります。だから、楽しさや面白さにもつながる「明るい」をキーワードにしようと考えていました。そこに知人から「イタリア語やフランス語から名前を持ってくると小洒落た良いネーミングができる」という知恵を授かって、「ルミノーゾ」を見つけた形です。

「パートナーズ」という言葉には、お客様に寄り添いたい、仲間はたくさんいた方がいい、という思いを込めています。

天井のない自由さと、刺激的な試練

起業直後は人にお願いするお金もありませんから、1から10まで自分でやらなければなりません。一方で、「社長」という肩書きに気が大きくなって、妙なお金の使い方をしたこともあります。

なんでも自分で決めて、自分でできる。当然、自分が全責任を負うのですが、自由と責任がある意味で無限大な点は、すごく面白いと感じました。恐怖もありましたが、わくわくの方がずっと大きかった。いまだに、そのわくわくが続いているような気もします。

独立して最初に手がけた事業は、資格支援の教材作成や講師です。バックオフィス関連の仕事でも営業は掛けたのですが、当時はあまり実になりませんでした。

ほぼゼロからのスタートなのに、なぜか「行ける」という自信を持っていたことを覚えています。今振り返ると、ものすごく勝算の低いところで始めたなという印象です。本当に、ご縁に恵まれたと思います。

直感を信じて、就労移行支援事業をスタート

資格支援事業は、ほぼ一人で回していました。人を雇うようになったのは、就労移行支援事業を手掛けるようになってからです。

サラリーマン生活を始めた時もそうでしたが、就労移行支援事業を始めたのも、直感的な判断でした。

普通は、もっと真面目に考えるのかもしれません。ただ私は、直感というのは無意識に行われた何らかの判断が表に出てきているもの、と捉えています。

早めに失敗した方が傷口は浅くて済みますし、迷うくらいなら、とりあえずやってみるのが基本的な方針です。第一印象で人を信用して、痛い目を見たこともあります。良し悪しは難しいですが、即断即決でうまくいくことの方が、ずっと多いように感じます。

気づけば、手掛ける事業はキャリアの延長にあった

現在、ルミノーゾ・パートナーズでは主に3つの事業を手掛けています。経営支援、障がい者雇用支援、就労移行支援です。

法律、資格取得支援、法務・総務と、私のキャリアは一見脈絡がないように見えます。しかし、例えば資格を取りたいが、何が役に立つかわからないし、勉強も苦手。会社を作ったものの、運営がうまくいかない。こういった困りごとの解決は、まさに私がこれまで経験してきた仕事と重なります。

無軌道なようで、自分の中に蓄積されてきたものをコアにしてお仕事をしている。そんな感覚があります。

「人に寄り添う」という信念

2022年に、就労移行支援のパーパスを考えようという機会がありました。その時にストンと、「障害の有無を問わず、困っている人に寄り添う」という表現が降りてきました。これは、就労移行支援に関わらず、ルミノーゾ・グループの基本スタンスだと思っています。

私が意識しているのは、お客様の答えを、こちらで出さないことです。それはおこがましいですし、権利もないと思います。正しい答えは、お客様の中に必ず存在します。寄り添って、その答えに辿り着けるように支援する部分が、我々の仕事です。

そのために、傾聴する姿勢を大切にしています。本当は何がしたいのか。どうなりたくて、何がやりたくないのか。そういうことを細かく解きほぐしていくと、自ずから答えが出るケースが多いように思います。

個人も組織も、根本的には同じ

まず、ご自身がしたいことをきちんと理解していただく。自分の本心と向き合えるように寄り添う。この姿勢は、お客様が個人でも法人でも変わりません。

例えば障がい者雇用の担当者様であれば、頭ではわかっているものの、「なぜ自分が」という思いもお持ちの方もいます。実務を回す大変さは身を以て知っていますから、綺麗事を抜きにして、本心を語っていただく。その上で、「さぁ、どうしよう」と一緒に考えていく形が理想系です。

また、福祉施設の経営者様で言えば、やはり最初にニーズを深掘りします。例えば会計で困っているという相談があった時、「じゃあこういうツールを入れましょう」ではなくて、なぜ会計で困っているかを突き詰めます。

そうすると、ぜんぜん違うところに根本的な問題があったりする。そもそも売り上げが足りなければ、会計ソフトを導入しても表面的な課題しか解決されません。

こうした分厚い傾聴、寄り添う力は、ルミノーゾ・パートナーズの強みだと考えています。

自ら決断し、挑戦する価値を、もっと

会社を始めてからこれまで、責任はずっと大きくなりましたし、不安や恐怖もなくなりません。ただ、わくわくの方がずっと大きいです。

新しい何かに取り組む時はもちろんですが、お客様や従業員が課題に向き合い、新しいことに挑戦して成果を出した時。これまで表に出ていなかった一面を見せてくれた瞬間には、特に大きなやりがいを感じます。

私には、会社を大きくしたい気持ちはありません。ただ、お客様や従業員としっかり向き合い、寄り添って答えを出す。本心を共有するに足る、信頼できる相手でありつづけたいとは、強く思います。

そのために、今後は採用も含めた、全体のサービスの底上げに取り組んでいく所存です。現状では、まだまだ担当者の力量に左右されてしまう部分があります。

目に見えない商品を売っているわけですから、ブラックボックスにならないよう、社内外に伝わるように業務を見える化し、平準化していくのが、今後の展望です。